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7.市長選挙
学生寮の一階に広いロビーがある。一角にテレビがあって、ソファーが二つある。寮生の交流の場ともなっている。郵便物のポストや、各種案内の掲示板もあった。その掲示板に、ある日一枚の紙が貼られ、多くの寮生がその事で騒いでいた。その内容は次の様なものであった。
緊急アルバイト募集
一、市長選挙運動員 日当 二千円
定員 五十名
一、同じく応援弁士 日当 一万円
定員 三名
期間 二月十日〜二十二日
申し込みは 四○七号室 今村まで
先着順とし、定員になり次第締め切ります。
この頃のアルバイト料は、土方で日当千八百円が相場であったから、かなり条件の良いバイトであった。寮生のほとんどは県外の学生であったから、選挙といってもほとんど関心がなかった。どちらが勝っても負てもどうでもよかったのである。しかし、このように仕事となると話しが違ってきた。どの候補者の運動員かが記載してない理由もその辺にあったのである。誰でもいいのであった。寮費は、三食付きで一ケ月五千五百円であったから、三日も働けばよかったのである。二週間ぶっ続けで仕事をすれば、実際授業があるので無理なのであるが、四ケ月分の寮費が捻出されることになる。それだけインパクトのあるバイトの話であった。
特に応援弁士は、日当一万円である。大学卒の初任給が四万二千円の時代である。いかにすごい報酬か想像がつくであろう。しかし、応援弁士は誰にでもできる仕事ではない。弁論部の特権みたいな仕事であった。
そんな訳で、募集要項が貼られると同時に、四○七号室は、寮生でごった返すこととなる。
「全ての日に出ることは出来ないが、五、六日で申し込みさせてくれ。」
「かまわん。出ることの出来る日を言ってくれ。受け付け順だ。」
今村の声がはずんでいる。
今村は工学部の三回生であった。出身は奈良県の片田舎で、産業の全く無い谷間に生まれた。地元ではいい就職口がない。といって、関西周辺の私立大学へ行く経済的余裕もなかった。そんな訳で、北陸の国立山岡大学に来たのである。体が丈夫なことが取り柄で、高校時代は柔道部に入っていた。県体で準優勝したくらいであるから、東京のある私立大学から誘いがあった。しかし、やはり経済的な理由で推薦入学を断わらなくてはならなかったのである。
この国立山岡大学に入学しても、奨学金だけでは心細かった。それで、土方のアルバイトをするようになったのである。最初に道路の舗装工事の作業員として入ったのが、今度の選挙で市長に立候補した鹿野勇太郎が社長を務める鹿野土建であった。主に、この地方都市を発祥とする日本の大手建設会社、いわゆるゼネコンの下請けが主であった。大手建設会社の社長は、国会議員であったので、その構図はおのずと決まってくる。
真面目に仕事をすることを評価されて、やがて今村はアルバイト学生の手配師を任される事となる。そんな事から、今回の市長選挙に当たって、今村が選挙の運動員の手配をすることになったのである。
さて、二月十日の選挙告示日になった。対抗馬は、地元医師会の推薦を受けたある医療法人の理事長元谷晋平であった。元谷晋平は、県議を長く務めた政治家で、今度の市長選に担ぎ出されたのは、やはり国会議員の地元での勢力争いが原因であるともっぱら地元のマスコミは連日書き立てていた。この地方都市を二分する激戦になるだろうという予想を、早くから大見出しで報じていたのである。しかし、学生にとって、そんな事はどうでもよかった。ただ金になればよかったのである。
両陣営の選対本部は、駅前の大通りを挟んで向かいあう形でもうけられていた。中央に珍しくなった電車が通るため、駅前大通りは幅が百メートル程もあった。そんな大通りの両側の歩道は、両陣営の応援者でごった返していた。鹿野勇太郎の選対本部はアーケード街を控えた方のビルの一階にあった。寮生の運動員は、黄色の鉢巻をして、横一列に並んだ。道行く人に推薦の依頼をするビラを配るのが主な仕事であった。土建業者出身であるから、応援者もほとんど男ばかりであった。ところが、反対の歩道を見ると、こちらは白衣をまとった看護婦らしき女性が横一列にずらりと並び、腕には緑の腕章を付けている。総勢二百人はいるであろうか。もちろんこちらも看護学校のアルバイト学生であることはすぐにわかった。土建業者と、医療機関の対決は、男女の対決といった様相を呈してきたのである。
選挙運動が始まって一週間が過ぎた。副寮長の金田先輩が寮長の部屋に浮かぬ顔をしてやってきた。
「寮長、今村の奴ポカをやらかした。」
「選挙の手配師をしている今村先輩ですか。」
「そうだ。実は、先ほど今村が目の回りを紫色にしてやってきた。かなりひどく殴られたようだ。」
「何があったのですか。」
「昨日、選挙事務所から半期分のバイト料七十万をもらってきたそうだ。」
「又、すごい金額ですね。」
金田先輩の話はこうである。今村は、大金を手にした勢いで、新街の高級キャバレー銀座へ何人か連れて飲みに行ったのはよかったが、金の勢いでドンチャン騒ぎをして、店の女の娘にもなりふり構わずに飲み食いをさせたそうだ。帰る時に渡された請求書は何と八十万というべらぼうなものであった。銀座は、この街一番の高級キャバレーとして有名で、学生などはとても入る事が出来ない所であった。それも、飲んでいる間に、金の入ったいきさつなどを店の女の娘にしゃべったのがいけなかった。学生の分際でこんな所に来てと不審に思っていた店長は、金を持っていることがわかると、とたんに手のひらを返したようになり、女の子をけしかけたのである。店長がドンチャン騒ぎを仕組んだのである。まんまとはめられたのである。それでも十万円足りない訳であるから、その分やくざが裏から出てきて、何回も殴られ、店の外に放り出されたという。この金は、もちろん今日寮生に払う約束の金である。
「それは大変な事になりましたね。」
「うーむ、困った話だ。支払の金は六十万だから、大金だ。大騒ぎになるかもしれんな。」
「今村先輩の手配料は半期で十万ですか。ちょっとひどいですね。」
「それが、金銭感覚を麻痺させたようだ。」
「しかし、今村先輩が悪いのですから、我々は関係ないでしょう。今村先輩が全責任をとるべきです。」
「俺もそう思うが、あまりの大金なので、何か事が起きるような気がしてならん。」
「・・・・・・・・」
しかし、その心配はすぐに現実のものとなってきたのである。そんな悪い噂はあっという間に広まるものである。聞きつけた寮生が今村先輩の部屋に押しかけたのである。そして、金を出せと吊し上げが始まったのである。
副寮長の金田先輩が再び寮長の部屋にやって来た。
「寮長、やはり大騒ぎになってきた。収拾が付かない。」
「そうですか、ほっておく訳にはいきませんね。」
「何かいい名案はあるか。」
「少しばかり考えがありますので、関係者を一時間後に食堂に集めてもらえませんか。それに、今村先輩をこちらに呼んでください。」
程なくして、今村先輩が金田先輩によって部屋から助け出されてきた。
「いやー、ひどい目にあった。俺はもう駄目だ。とり返しが付かん。」
「先輩、何とかなりますよ。」
「そうだといいのだが。何せ大金だからな。」
「私に考えがあります。・・・・・・・。どうですか。」
「わかった。寮長に任せる。」
一時間後、食堂に百人ほどの寮生が憮然とした表情をして集まっていた。今村先輩が、うなだれて前に座っている。なぜかその前に出刃包丁が一本置いてあった。寮長が前に進み出た。
「寮長の村岡です。今回、選挙の運動員のバイトの件で、今村先輩が起こした騒動は、かくかくしかじかの様ないきさつであると聞いています。これは、本来ならば今村先輩個人の責任問題であります。しかし、このように大きな金額であり、これから一週間のバイトの責任問題に事が発展しますと、寮生の信用は地に落ち、しいては今後の寮生のバイトに少なからず悪影響を及ぼすことは必至であります。であるからして、後日懲罰委員会にはかり、しかるべき責任をとっていただくことになると思います。しかし、これでは金は戻ってはきません。金額が金額だけに、今村先輩が今後働いて返せる金額とも思えません。そこで、私から提案があります。」
ざわついていた食堂が静まりかえる。
「提案というのは、ここに署名簿を作ってきました。まずその文面を読みます。
今回の市長選挙におきまして、私達は鹿野勇太郎候補を推薦することを決議致しました。山岡大学学生寮有志一同。氏名、住所、電話、印。というものです。一枚につき、十名記載できます。今日中に、全寮生、ならびに全学生に働きかけ、署名、捺印をもらってきて下さい。印がなければ、印肉を持っていって、指紋を押してもらってください。それに、必ず選挙事務所から電話が入ったら、わかりましたと返事をするように念を押して下さい。」
「寮長、そんなものが金になるのか。」
「金になる保障はありません。」
ざわつき始める。
「保障はありませんが、これをもし金に替えたならば選挙違反になります。私は、過去に二度警察に逮捕されています。逮捕されることには慣れています。しかし、金の都合が出来なかったならば、今村先輩がここにある出刃包丁で指を切ってお詫びをするという、やくざの様な事を言っております。ですから、今村先輩の指を切る事を考えれば、私が選挙違反でつかまる事は大した事ではありません。確かに選挙違反はしてはいけない事であります。しかし、今村先輩の一生を決めるかもしれないこの一瞬に、法を犯すことで解決できるのならば、自分は何ら躊躇せずに法を犯す選択をします。この様に考えますので、私にこの件に関しての一任をお願いします。もしも、法を犯すことに荷担したくない方がいましたならば、もちろん止める権利など自分にありません。今すぐこの場を退場してくださって結構です。」
食堂は静まりかえる。誰も出て行こうとはしない。
「よし、寮長がそこまで腹をくくっているのなら、やってみよう。どうだ皆。」
「わしは賛成だ。」
「任せるぞ。」
場内は騒然とした雰囲気になってきた。どこからともなく拍手が起こった。それが次第に大きくなり、全員の拍手の渦となった。
「ありがとうございます。一任されたものとして、責任を持って事に当たりたいと思います。締め切りは今日の五時です。私の部屋に持ってきてください。」
今村先輩は土下座して言った。
「皆すまん。この今村、この恩は一生忘れない。」
夕方の五時過ぎ、金田、今村両先輩が心配そうに詰めていた。
「寮長、どうだった。」
「ええ、思ったより集まりました。集計しますと、全部で六百三十四名です。」
「ほー、なかなかの数字だなー。で、これをどうする。」
「今村先輩。選対本部の金庫番に今夜密かに会いたいと言って下さい。」
「わかった。今すぐに電話してくる。」
夜の十二時を回った頃、駅前の選対本部の事務所に寮長、金田、今村の両先輩が入って行った。金庫番の頭の禿げた男が応接にいた。五十才前後で、地元の銀行の支店長をしているという。おそらく、政治家の裏金作りに一役かっているのであろう。今村先輩が、両名を紹介した。
「はじめまして、寮長の村岡と申します。よろしく。日頃、鹿野様や関連企業の方に大変寮生がお世話になり、ありがとうございます。なにせ、寮生は貧乏人がほとんどでありますから、アルバイトをしなければ生活できません。そこで、最もバイト料のよい土木作業は、我々にとって大変貴重な仕事であります。そんな訳で、ぜひ鹿野様には今回の市長選挙に当選していただきたく、日頃の感謝を署名簿として持参いたした次第です。寮生は県外出身者がほとんどであります。よって、どなたが市長になられても、実際は全くどうでもいいといった、不動票です。しかし、我が寮生は鹿野様によって生活を支えられているといっても過言ではありません。そこで、本日寮生大会を開催いたしまして、鹿野様を推薦する決議をいたしました。」
そう言って、署名簿をおもむろに差し出した。署名簿の意味するところは察知しているようだった。そして、金庫番の男は、しげしげと署名簿を見て言った。
「で、この署名は本物か?」
「もちろんです。一人一人寮生が確認をとって書いたものです。」
「話はわかった。明日さっそくこの署名簿の確認を電話でして、確認をとれたものに対して一人千円でどうか。」
「もう少し色をつけられませんか。」
「うーむ、じゃー、千二百円でどうだ。」
「ありがとうございます。」
「もちろん、口は固いな。」
「この金は、全て運動員のバイト料となりますので、ご心配なく。」
「そうか、金が決まったら、今村君に払っておく。」
二日後の夜、今村先輩が受け取った金は六十八万であった。嬉しそうに今村先輩が寮長の部屋に入ってきた。
「寮長、やったぞ。ありがとう、礼を言う。本当に指を詰めなければならんかと、冷や汗もんだったぞ。」
「そうですか。ではすぐに支払をしてやって下さい。」
「わかった。」
十時を回った頃、再び寮長の部屋である。
「支払をして残ったのは八万ある。これは寮長のものだから、受け取ってくれ。」
「いえ、そんな金は受け取る訳にはいきません。パーっとなくした方がいいですよ。今夜行きましょうか、怖くない店へ。それに、懲罰委員長の島村先輩も連れて行かないと、まずいんじゃないですか?。」
金田先輩が思い出したように言った。
「そういえば、島村が言っていた。今回の寮生に対する不祥事の懲罰は、『眉毛剃り』に当たると。今村の眉毛のない顔は見物だといって笑っていたぞ。」
「
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