4.春爛漫

 四月八日。北陸にも遅い春がやって来た。近くにある大日川の堤防には桜並木があり、その向こうに城山があった。どちらも桜の名所として名高く、寮生はよくここに出かけて行ったのである。そして、今日は大学の入学式であった。
 学生寮にも新入寮生が、四十人ほど入ってきた。その中に寮長の部屋に入った内田一夫がいた。上田先輩は、一ヵ月ほど前に卒業して、ある貿易会社に就職していったのである。その後に内田が入って来たのである。
 内田一夫は神経質なタイプであった。京都府の山間部の出身で、父親は地元の役場の公務員をしていた。勉強が第一であるということで下宿を両親は希望したが、下宿代の問題とか、一夫自身が寮生活を望んだことから、寮に入る事になったのである。
 引っ越しの時、父親と母親が付き添って来た。大した荷物もなかったが、心配であったのだろう。この当時、寮生が引っ越して来るのに両親が付き添いに来ることは稀であった。ほとんどの寮生は、トラックで荷物を送って、単身でやって来る者が多かったのである。
 寮長と同室であることを知った内田の両親は、何度も何度も頼みますと言って頭を下げた。その両親のする事が、あまりに息子を子供扱している様で、寮長は可笑しかったが、こらえて、わかりましたとい言うばかりであった。
 さて、この日は寮でも夕食の時に「新入寮生大歓迎会」をする。「大」の字が付くにはそれなりに訳があった。歓迎の仕方が「大げさ」なのである。この事は後によくわかる。
 「内田、今から歓迎会があるが、この寮の歓迎会はちょっと変わっている。普通歓迎されて喜ぶのはお客さんだが、ここの場合は喜ぶのは寮生だ。大人になるには、知らんことを知ることだが、馬鹿になってまず全部吸収しろ。その中から自分のものを選べばいい。今日は、その馬鹿になることを教える初日だ。何も考えるな。」
寮長の言ってる意味がよくわからない内田であった。
 七時に全寮生が食堂に集合していた。新入寮生の席は中央二列である。司会役の金田副寮長の合図で、入り口から新入寮生が二列になって入って来た。拍手で向かえられた新入寮生は、まだ新しいブレザー姿が板に付いていない。どことなくぎこちないのである。
「初々しいなー」
昨年までとはうって変わったように大人なった二回生がしみじみと言った。
「これより、第十九回新入寮生歓迎会を開催いたします。まず、寮長から挨拶をお願いいたします。」
寮長が中央の演壇に立った。新入寮生からざわめきの声が上がった。それもそのはずである。プロレスラーのようにばかでかい図体に、無精髭をはやした精悍な男に、同じ学生とは思われない大人を感じたからであった。
「寮長の村岡です。新入寮生諸君、入寮おめでとう。実は、何を隠そう、自分も昨年は諸君の場所に座っていたのであります。」
再びざわめきの声が起きた。話の意味が理解できないのである。
「大学という所は、高校と違って、同じ年齢の者が同じ学年ではない。自分の様に、五年も遅れて入って来たとぼけた者がいる。」
「とぼけ過ぎだよ」と、野次が入る。
なる程と納得する。
「しかし、入ったら、年齢に関係なく回数によって上下関係が決まる所である。そして、道で会ったら必ず後輩から『オス』と言って挨拶をしなければならない。大学からの帰り道、寮までの道は一本であるからおそらく何十人という先輩とすれ違うこととなる。だから一回生は何十回となく『オス』と言わなければならない。まとまってやって来ると、『オス、オス、オス、オス、オス』と・・・」
新入寮生が冗談だろうと思わず笑った。
「これは冗談ではない。この挨拶をする事が馬鹿になる第一歩である。二回生になると、少し少なくなって、四回生になるとほとんど無くなる。ほとんどと言ったのは、留年して回数だけが余計になった先輩がまだ沢山いるからである。この寮でのこれまでの最長は八回生と聞いている。諸君達は今いる先輩達を見て自分よりははるかに大人であることを確認するであろう。しかし、諸君とはたかだか一、二年しか歳が違っていない。いかに、この寮において大人になるための教育が素晴しかったかを物語っているのである。」
「よし、教育するぞ。」
寮生から拍手が起きる。
「だから、毎日毎日『オス』と言っておれば大人になれるのである。実に簡単である。」
「それは冗談だ。」と、野次が入る。
「そうです。」
笑いと、やんやの拍手が起きる。
「今日は、歓迎会ということであるが、これから先輩達の熱烈なる歓迎を受けて、諸君達が早く一人前の寮生とならんことを祈って、挨拶とします。」
「熱烈に歓迎しましょう。」
なぜか又大きな笑いと拍手が起きた。
再び金田副寮長が立った。
「それでは乾杯に移りたいと思いますので、乾杯の音頭を風紀委員長にお願いします。」
「私が、泣く子も黙る風紀委員長の岡田と申します。岡田、岡田亮三回生です。」
選挙カーの声の様に言う。
「わかった、わかった」
まるで漫才の掛け合いである。
「ご指名を受け、僭越ですが乾杯の音頭をとらせていただきます。その前に一言歓迎のご挨拶をさせていただきます。」
「ビールが待ってるから、早目に終われよ。」
「わかりました。風紀委員とはシャバで言いますと警察です。悪さをすると捕まえて、シャバの裁判所に当たる懲罰委員に送ります。さきほど挨拶された寮長はシャバで言いますと内閣の総理大臣です。でありますから、寮は三権分立が確立している治外法権の独立国家であります。警察といえども勝手に寮の中で捜索できません。でありますから、諸君達は寮という独立国家の国民に今日からなったという誇りを持たなければなりません。」
「そうだ、埃は寮の部屋に充満してる。」
「寮という所は、単に生活する場所ではなくて、集団生活を通してシャバの仕組みを学ぶことができる素晴しい場所なのであります。こんな素晴しい独立国家は日本中探しても滅多にあるものではありません。しかし、この国にはこの国の決まりがあります。先ほど寮長が言っておりました挨拶もそうです。守らない者はびしびし逮捕します。しかし、無事四年間この寮生活を終えますと、誰もが寮生であったことを誇りに思う日が必ず来ると思います。」
「寮は刑務所か。」
「刑務所よりひどい。」
「まったくだ。」
新入寮生が不安になる。
「挨拶じゃーなくて、それは脅しだ。早く乾杯しろ。」
拍手がわく。
「催促がきついので挨拶はこのへんにして、それでは乾杯に移ります。新入寮生の前途を祝して乾杯。」
「乾杯!」
再び拍手がわく。

しばらくして、再び金田副寮長が立った。
「それでは、恒例の自己紹介を始めたいと思います。」
「待ってました。」
「前列右から順番に、氏名、出身校などを紹介してください。」
拍手と歓声が一段と大きくなる。何か不穏な雰囲気である。
「内田一夫です。」
「後ろまで聞こえん。」
「声が小さいぞ。」
「内田一夫です。」
「何だ、お前は女か。男ならもっと声が出るだろう。」
「はい、内田一夫です。」
「よし。いいぞ。」
「出身は、兵庫県立上野山高校です。」
「上野山には、ミンミンゼミがいるか。」
「はい、おります。」
「上野山のミンミンゼミの鳴き声はどのように鳴くのか、聴きたい。そこの柱につかまって鳴いて見ろ。」
内田は半分泣き出しそうになる。寮長の言った意味がわかってきた。馬鹿になれ。そう自分に言い聞かせると柱を抱いて、
「ミンミンミンミンミンミンミンミン。」
拍手が起きる。
「今年の一回生はなかなかやるぞ。」
「趣味は、音楽と魚釣です。」
「なんだー、女と逆さ吊。趣味が悪い。」
笑いと歓声がどよめく。
「よろしくお願いいたします。」
「よーし、わかった。」
又拍手である。一人に対してこの様な手荒い歓迎が繰り返されるのであった。そして、延々三時間に及ぶ自己紹介が終わったのである。

 内田は部屋に帰るとベッドに横たわった。初めての体験に体が訳もわからず興奮していた。寮長が帰ってきた。
「内田、なかなかの芸だったぞ。」
「はい、馬鹿になって思いきりやりましたら、何か気持ちがすっきりしました。それまで、悪趣味な歓迎だと思っていましたが、つっかえが取れたようです。」
「そうか。それはよかった。若いのだから、頭で考えずに、まず向かっていく。これが大切だ。失敗しても、若者は許される。特権みたいなものだ。歳取ってから失敗すると取り返しが付かない。今のうちに馬鹿をできるだけやっておくことだ。」
「先輩の言っている意味が、何となくわかってきました。」
「うむ、飲み込みがいいようだ。」
そこへ、金田先輩が入って来た。
「寮長、そろそろ行こうか。」
「そうですね、おい内田、出かけるぞ。」
「えっ、これからですか。」
「そうだ、まだ宵の口だ。これからが本番だぞ。」
「どこへ行くのですか。」
「城山だ。桜も満開だし、絶好の夜桜日和だ。」

 城山までは、寮から歩いて三十分程である。城山は桜の名所である。頂上は標高百メートルもあるだろうか。かつてこの山に城があったというが、今はその面影もない。全山公園として整備されていた。道の両側には、ぼんぼりがともされ、夜桜見物の人が大勢出ていた。寮生の集う場所は、人気が少ない奥まった所にある仏舎利塔の前であった。一段高くなった舞台があって、かっこうの宴会場所になっていた。仏舎利とは、インドでお釈迦様の遺骨が見つかり、それを全世界に分骨して、このような塔が建てられたものである。真意の程は解らないが、とにかくお釈迦様の墓には違いなかった。その縁台で宴会をするのだから、罰当たりもいいところであった。
 仏舎利塔に着くと、すでに二十人程が集まっていた。
「寮長のお出ましだ。始めるぞ。」
一升瓶と湯呑み茶碗が回ってきた。茶碗酒である。
「乾杯。」
誰ともなく歓声が上がった。
「まず、寮歌を歌おう。」
「アイン、ツバイ、ドライ。」

白き峰 遠くに望む
我らが館 若人の
集うところぞ 青春の
・・・・・・・・・

総勢四十人ほどにふくらんだ寮生は、一列に並び、肩を組あって左右に体を振りながら歌った。折しも満開の桜から風に乗って花びらが散った。春爛漫である。次第に盛り上がってきた寮生は、車座になり猥歌を歌い出した。

一ツデタホイノヨサホイノホイ
   一人娘とするときにゃー 親の許しを得にゃならん
二ツデタホイノヨサホイノホイ
   二人娘とするときニャー 姉の方からせにゃならん
三ツデタホイノヨサホイノホイ
   醜い女とするときにゃー 座布団かぶせてせにゃならん
四ツデタホイノヨサホイノホイ
   よその女とするときにゃー 見つからないよにせにゃならん
五ツデタホイノヨサホイノホイ
   いつもの女とするときにゃ あの手この手でせにゃならん
六ツデタホイノヨサホイノホイ
   昔の女とするときにゃー 思い出し出しせにゃならん
七ツデタホイノヨサホイノホイ
   質屋の女とするときにゃー 入れたり出したりせにゃならん
八ツデタホイノヨサホイノホイ
   八百屋の女とするときにゃー 大根枕にせにゃならん
九ツデタホイノヨサホイノホイ
   子持ちの女とするときにゃー 見つからないよにせにゃならん
十トデタホイノヨサホイノホイ
   年増の女とするときにゃー 皺を伸ばしてせにゃならん
十一デタホイノヨサホイノホイ
   侍の女とするときにゃー 切腹覚悟でせにゃならん
十二デタホイノヨサホイノホイ
   十二単重とするときにゃー めくりめくってせにゃならん
十三デタホイノヨサホイノホイ
   巡査の娘とするときにゃー 手錠覚悟でせにゃならん
終わりデタホイノヨサホイノホイ
   名古屋の女とするときにゃー なごりおしんでせにゃならん

 宴たけなわになってくると、金田先輩が三回生の阪本先輩にやれ、やれと何かけしかけ始めた。それではと、阪本先輩が立ち上がり、空になった一升瓶に手拭を巻着けている。
「よー、出ました十八番。」
「では、リクエストに答えまして、でかちんち踊をやります。」
一升瓶を股にはさんで阪本先輩が踊りだした。やんやの喝采である。ある者は可笑しさのあまりに転げ回っている。
「内田、お前も何かやれ。」
「芸がありません。」
「校歌ぐらい歌えるだろう。」
「では歌います。」
内田は初めて一人で校歌を歌った。初めて酒も飲んだ。親父が酒も煙草も飲まない堅物だったので、内田は何もかも初めての体験ばかりであった。全てが別の世界の様に新鮮であった。歌い終わると、少し元気が出て来た。
「先輩、実に楽しいです。僕は、これまで勉強しか知りませんでした。親父に言われて、勉強以外の事をやっている他の学校の生徒を軽蔑していました。あれは間違っています。」
「そうだ。これが青春だ。酒は旨いか。」
「わかりません。しかし、こんな気持ちになったのは生まれて初めてです。」
「それならもっと飲め。」
茶碗に注がれた酒を一気に飲んだ。しばらくすると、空の桜の木が回り出した。そのままわからなくなってしまった。
「おいおい、内田が寝てしまったぞ。」
「しょうがないな。」

人影も絶えてしまった桜橋の上に、寮生の一団があった。まだ何人か肩を組んで歌を歌っている。寮長の背中には内田が気持ちよく眠っていた。
「こいつも、やがて大人になるんだなー。」
金田先輩が、しみじみと言った。