|
3.恐喝
ある夜の事である。一回生の若林が寮長の部屋に来た。
「村岡、すき焼きをするから食べにきてくれ。」
「それはありがたい。すぐ行く。」
若林の部屋には、同室の大谷先輩と、一回生が二人来ていた。電気コンロなどが用意され、すでに旨そうな臭いが漂っていた。
「旨そうだな。」
「そうだろー、何せ肉が特製だから旨いぞ。」
と、若林は嬉しそうに言う。
「さあ、もう食べごろだろう。うん、旨いぞ、食えよ。」
こうしてささやかなすき焼きパーティが始まった。
「しかし、ずいぶん大きくなるものだな。」
「こううまくいくとは思わなかったぞ。」
若林と大谷先輩が嬉しそうに話している。
「若林、何がそんなに面白いんだ。」
と、他の一回生がけげんな顔をして言う。
「村岡、お前知らないで食べているのか。」
「何を?」
「この肉は、あれだよ、あれ。」
「あれとは?」
「ほら、春の縁日に夜店に売っていた十円のひよこ。あれだよ。若林が寮の残飯で裏で飼っていただろう。」
「おいおい、じゃーこれはあの鳥肉かよ。」
胸を押えて部屋を飛び出した寮長であった。そんなどたばたの生活が続く学生寮であった。
寮の一階ロビーの脇に、六帖程の応接室がある。長い三人掛けのソファーが、小さなテーブルを囲んで二つあるだけの簡単な応接室である。壁には、この近くを流れる大きな川の油絵がかかっている。誰の描いたものか、誰も知らない。普段はあまり使用されないので、応接室のあることを知らない者もいた。
九月の新学期が始まったある日、三回生の山本良三に面会のアナウンスが入った。
山本良三は大阪出身であった。父親はサラリーマンをしていたが、これといって特別な才能があった訳でもなく、五十才近くになっても平社員のままであった。そんな訳で、家庭の経済状態はあまりよくなく、私立の大学へは進めずに、北陸の片田舎にあるこの国立大学にやってきた。この学生寮に入っている者の大半は、こうした状況の学生達であった。
山本が玄関に出て見ると、見知らぬ中年の男がいた。身なりから察すると、どこかの市会議員をしている様な風貌であった。
「山本君だね。」
「はいそうですが。」
「文子の父親だ。話がある。」
山本は、文子という言葉を聞くと、ついにやってきたかという感じがした。
「そうですか、ではどうぞ。」
そして、例の応接室へ案内したのである。
「話の内容はわかっていると思う。私は、今君を殴りたい気持ちを抑えている。いったいどうしてくれるのだね。」
「はい、責任は自分が必ずとります。」
「ほー、青いことを言うじゃないか。どこの馬の骨ともわからない者に、文子をやるわけにはいかん。まだ学生の分際で、責任をどうとれるというのか、聞かせてもらおうじゃないか。」
次第に文子の父親という男の声が高ぶってくる。
「文子さんと結婚します。よろしくお願いします。」
「何を馬鹿なことを言っとるのか。そんな話を私が認めるとでも思っているのか。」
「許していただかなくても、私達は結婚するつもりです。」
延々と押し問答が続いていた。ロビーにも、ただならぬ雰囲気が漏れてくるので、何人かは心配そうにロビーに詰めていたのである。
「おい、いったい何があったのだ。」
「さあ、わからんが、山本の奴、ずいぶん責められている。」
何日かして、寮長の部屋に山本良三がやってきた。
「寮長、話がある。」
「はい、何でしょうか。」
「実は、今月をもって退寮したいと思うので、よろしくたのむ。」
「何ですか急に。寮では勉強出来ないのですか。」
「いや、そんな理由ではない。訳があって寮では住めなくなった。」
「それは穏やかな話ではありませんね。もしよかったら、話を聞かせてもらえませんか。」
「いや、寮の人間関係で退寮する訳ではないので、心配するな。自分個人の問題だ。」
「そうですか、それにしても残念です。」
「うん、俺も残念だ。」
山本先輩は、何か思い詰めている様子であった。
「先輩、私にできることがありましたなら、いつでも寮に来て下さい。」
「わかった。又遊びに来るよ。」
数日後に山本先輩は荷物をまとめて寮を去って行った。荷物といっても、たいした量はない。乗用車に載せて一回で済むような量であった。そして、寮の誰も彼がどこへ引っ越して行ったのか知る者はいなかった。そして、そんな事も一ヵ月もたつと、誰も忘れてしまった。
寮長が、久しぶりに新街のキャバレー飛鳥に寄った。店内はまだ客があまり来ておらず、女の子だけがやたら目だった。
「寮長、いらっしゃい。最近どこかで浮気していたでしょう。」
B子が腕をとって嬉しそうに言う。
「そんなんじゃないよ。俺だって試験前ぐらいは勉強するさ。」
「うっそー、寮長がお勉強。あーあ、明日は雪だわ。」
「俺が勉強すると、そんなに珍しいのか。」
「あったりまえでしょー。冗談は顔だけにしてね。」
一人なので、カウンターに座った。
「おビール、それとも・・・・」
「ああ、ビールでいい。」
そこへ、一目でその道の若い者とわかるような風体をした三人組みがやってきて、寮長の近くのボックスに陣取った。店が静かなもので、大声でしゃべる話声がよく聞こえた。
「文子の奴、どこへ逃げたかと思ったら、男がいるとはびっくりだな。」
「男の名前、なんて言ったっけ。」
「ああ、山本とかいう学生だ。」
「世の中には奇特な奴もいるもんだ。誰の子供かわからんのに、育てようというのだから。」
「あはははは・・・・」
「ちょっと、ミッちゃん。」
「なーに。」
「今あそこに座っている三人組、誰だ。」
「ああ、西岡組のチンピラ。あんなの来るとお客さんに迷惑よ。困ったもんね。」
「ちょっと頼みがあるんだ。今話していた山本という学生の話、もう少し詳しく知りたいのだが、聞いてきてくれないか。」
「あんな変な人達の話、どこが興味あるの。」
「山本は、俺の先輩じゃないかと思って。」
「わかったわよ。」
ミッちゃんというのは、絡まれていた時に助けた女の子である。地元の山間部の出身であった。美人ではないが、目のぱっちりした、ひょうきんな性格が売り物であった。人の噂話が大好きで、こんな役にはぴったりであった。一時間程すると、寮長の横に座った。
「聞いてきたわよ。ただし、只では教えない。今晩付き合ってくれたら教えてあげる。」
「弱ったなー。じゃー、何時にハネるんだ。」
「そうね、今日は暇そうだから、一時までには・・・、一時に店の裏で待っていて。」
ミッちゃんのアパートは、店からタクシーで十五分ぐらいの郊外にあった。
「村岡さんどうぞ。」
こぎれいで、やはり女の部屋という感じである。学生寮の汚さとは雲泥の差である。あちこちに縫いぐるみの人形が置いてあった。
「B子にはちゃんと話しておいたから、心配ないわ。ちょっと借りるって。さあ、飲みましょう。」
「俺とB子とは何でもないよ。」
「うっそー。みんな知ってるんだから。」
「まあいい。で、どうだった。」
「そうせかさないでよ。せっかく二人っきりになれたんだから。」
意地悪そうな目つきをする。
「あのね、あの三人組は、リーダー格が山田で、あとは山田の金魚の糞。あなたの大学の女の子で文子という子を食い物にしていたようだわ。何か弱みを握っていたようね。売春もさせていたらしいし、三人組も遊んでいたようよ。ところが、彼女に子供が出来てしまって、用無しよ。誰の子供かわからないみたい。ところが、最近彼女を見つけたら、あなたの大学の山本という学生と同棲しているという話なの。」
だいたい話の筋が見えてきた。山本先輩はそれで退寮していったのか。しかし、誰の子供かわからないのに、山本先輩はなぜそこまでするのだろうか。
「村岡さん、これでいいでしよう。さあ、今度は私の頼みを聞いてもらう番よ。セックスしたらB子に悪いから、キスだけでいいから。」
そう言っていきなり寮長にのしかかって来た。
「おい、おい、やめろー。」
そんな事があって、一ヵ月がたった頃であった。寮長のところへ突然山本先輩が尋ねて来た。
「突然押しかけてすまん。」
「いいえ、どってことありません。先輩、大学を退学したと聞いたのですが、本当ですか。」
「ああ、本当だ。いま、太平商事という会社で働いている。」
「そうですか。」
「今日来たのは、頼みがあって来たんだ。」
「自分に出来ることなら、何でも。」
「実は・・・・」
山本先輩の話はこうであった。先輩は、合唱部に入っていた。去年新しく入部してきた後藤文子と恋愛関係になってしまった。一年ほど付き合った今年の始め頃、突然合唱部をやめて、先輩とも会わなくなってしまったのである。理由が全くわからないまま姿を消して半年程たった。ようやく彼女を見つけ、問いただすと泣きながら死んでしまいたいと言うのである。なだめて聞き出した話は実にむごい話であった。練習の帰り道、赤いスポーツカーに乗った三人組に襲われて、ホテルに連れ込まれ強姦されたという。その時、写真を次々に撮られた。何日かたって呼び出され、その写真を学校にばらまくと脅され、しかたなく言う事を聞いたのが始まりであった。何回か、ホテルで売春をさせられ、チンピラにも何回も遊ばれたという。ところが、そのうち妊娠していることがわかったが、恥ずかしくて医者にも行けないまま時が過ぎ、お腹が大きくなったことを知ると、それ以来チンピラは来なくなったという。山本先輩が見つけ出したのはこんな時であった。そこで、親に知れたら、その子の父親は自分だという事にしろと彼女に約束をさせたのであった。寮に彼女の父親が来たのは、それからしばらくしてからの事であった。もちろん、彼女は子供を生めば大学に行くこともできず、親からも勘当されるであろう。助けられるのは自分しかいない。そう決心をして、彼女と同棲生活を始めたという。このために、大学を中退して、仕事に就いたのだというのである。
ところが、最近になって、先輩達の居場所がチンピラ達の知るところとなり、写真のネガを十万円で買ってくれと言い出したのである。コーヒーが一杯百五十円の時代の十万円である。大金であった。先輩に都合のつく金額ではない。これはもはや恐喝である。そこで、寮長のことを思い出した。寮長は警察署長と懇意にしているので、何とか表に出ないようにしてチンピラを逮捕できないかということであった。
「話はわかりました。しかし、警察に頼んでチンピラを逮捕するとしましょう。裁判になって、このことの証明を裁判所で彼女がすることに耐えられますか。」
先輩は黙っていた。手が震えているのがわかった。
「先輩、なぜそこまでして彼女をかばうのですか。」
「誰の子供かわからんのに、自分の子供だといって育てようという。他人から見ると、馬鹿に見えるだろう。しかし、俺が彼女に初めて会った時から、運命的なものを感じていた。彼女もそうだという。なにも恋愛が初めてだからではない、こいつとならば一生やっていけるという感じがあった。彼女をこのままにしておくと、おそらく自殺に追い込まれるだろう。あの時再会したのも運命だと思う。誰の子供でもない、彼女の子供なのだ。一緒になるなら、全部受け入れるのが本当だろう。」
「先輩の真剣な話を聞いて、自分は恋愛というものを初めて理解したような気がします。これまで、自分は何人かの女性と関係しましたが、一度も全部受け入れるという気持ちにはなれませんでした。わかりました。とにかく、そのネガを取り返して、二度とチンピラが恐喝できないようにすればいいわけですね。話は簡単です。今夜そのチンピラに会いましょう。」
その日の夕方、西岡組の組長の自宅に寮長がいた。
「寮長、よく来た。今日はゆっくりしていってくれ。」
「いえ、実は折り入ってお願いがあって来ました。」
「ほー、珍しいな。」
「十万円貸してほしいのです。」
「十万円、大金だな。貸さん訳でもないが、そんな大金何に使う。」
「使い道は申し上げる訳にはいきません。しかし、明日の朝にはおたくの組員の山田さんに必ずお返ししておきますので、一晩だけ貸してください。」
「?、一晩だけの借金とは珍しいな。いいだろう。明日山田からもらえば言い訳だな。」
「はい、必ず返しておきます。」
「山田のようなチンピラに、関係しとるのか?。」
「自分は直接山田さんを知りませんが、自分の先輩が山田さんと知り合いで、その事も明日山田さんから聞いてもらえばよくわかると思います。」
「そうか。」
組長は金庫から十万円を出してくると、ニヤリと笑って寮長に渡した。
「これが借用証です。」
「そんなもんいらん。君を信用しよう。」
新街のはずれ、川の堤防の桜並木の角に山本先輩と寮長の姿があった。やがて、赤いスポーツカーが二人の前に止まった。相手は三人である。
「金は持ってきたか。」
「ネガを下さい。」
「金が先だ。」
「山田さんに渡します。」
「山田は俺だ。よし、確かに受け取った。これがネガだ。」
「他にプリントなど無いでしょうね。」
「心配するな。これが最後だ。あんな女お前にくれてやる。じゃあな。」
それまで黙っていた寮長が、
「おい、ちょっと待て。まだ話が終わっていない。」
「なんだ、話とは。」
「勘違いしてもらっては困る。その金はお前らにやったのではない。お前らの親分、西岡組の組長、西岡熊吉に渡す金だ。間違うなよ。確かに渡したからな。」
「お前、誰だ。うちの組長とどんな関係なのだ。」
「寮長の村岡という。組長に聞けばわかる。」
「?」
「まだ話の続きがある。」
と言うと、いきなり山田の襟首をつかんで車にめがけて叩き付けた。まるでボールを投げたように山田が飛んでいった。ドアのガラスが粉々に飛び散る。頭を車の中に突っ込んだのだ。それを再び起こして、血だらけになった顔にパンチが入る。あとの二人は、あまりの狂暴さに手がつけられないまま、呆然としている。逃げようとするがつかまって、殴り倒された。すでに三人とも気絶している。
「先輩も、もう二、三発どついて下さい。」
「金を取り返さなくてもいいのか。」
「ああ、あの金はこいつらに返させますから。」
「?」
翌日の西岡組の事務所である。
「おい、東。山田来ているか。ちょっと呼んできてくれ。」
「山田ですか、昨晩めちゃくちゃにやられまして、歩くのがやっとの状態です。今二階でうめいています。化け物が出たと訳のわからんことを言っています。頭を相当やられていますから、ふれたのかもしれません。」
「構わんから連れてこい。」
「山田です。入ります。」
「ほー、ずいぶん派手にやられたものだな。どこの組の者だ相手は。」
「・・・・・・・」
「化け物が出たと言ってるそうだが、何だそれは。」
「あんな男は初めてです。人間だと思ったのですが、何があったのか覚えていません。」
「で、後の二人は。」
「二人とも顎の骨を折られて、しゃべれません。」
「情けない奴らだ。ところで山田、昨日の晩、村岡という学生に十万円あずからなんだか。」
「そうだ、そいつです。化け物は。そう言えば組長の何とかと・・・・」
「なら、早く出さんか。あれはわしが村岡に貸した金だ。」
「えー、じゃー組長の・・・・」
事の事態を悟った山田が再び気絶してしまった。
「あっ、組長。こいつ小便もらしとる。起きろ、山田。」
「馬鹿ヤロー。二度と素人に悪さをするな。今回は目をつぶるが、今度やったらこんな事ではすまんぞ。おまえら、殺されんだけ有難いと思え。」
|