正確な測量技術の痕跡
昭和57年の2月、天満宮誌の夜景撮影のため、何度も真夜中に訪れる。夜空はよく澄んだ冬が美しく撮影されるため、寒い夜に撮影となる。「天子は南面する」という思想により、本殿は真南に向いて造営されたという文献がある。正面に立って本殿と真北にある北極星を中心に星の描く円弧の撮影を試みようと出かけた。ところが、北極星はなぜか少し本殿の中心よりずれている。これは文献と異なる? 当時の測量技術 は精度の低いものだったのだろうか?
北極星を本殿の中心に合わせて撮影した。すると、計測で4度傾いていることがわかった。
傾きの謎、解明される。
 この疑問は長年の課題であったが、西 和夫著「建築技術の謎を解く」という著書の出合いは、この謎を一気に解決させた。
真北は地球の自転の中心で、正確に北極星をにらんでいる。ところが、磁北は年ごとに移動していて、真北に対してのずれを偏角として上のグラフで表した。藩政時代は磁石を使って北を測量し、有名な伊能忠敬の測量も磁石を使って行われたが、1800年頃の偏角は真北と大差なかったので、問題は起こらなかったようだ。しかし、現在は約-7°で、小松天満宮が造営された1650年頃は約+4°であった。この事実を現在の測量に当てはめてみると、下図のようになり、正確に磁石を使って測量、真南に向くように造営されていたことが判明した。
 又、驚くべきことは、この時の磁北より正確に45°の東北ライン、すなわち鬼門線上に金沢城の本丸が存在するという事実だ。このことはいったい何を意味しているのだろうか。小松城の天守の位置、金沢城の本丸の位置、これらは偶然にその位置を決定されたのであろうか。しかも、その後の調査で、富山県高岡にある高岡城もまた、このラインの延長線上に正確にあることがわかってきたのだ。
この様に、次々と偶然にしてはあまりにも正確に加賀藩の建造物が配置されていることを発見した私は、それを取りまとめた「加賀藩のマンダラ図」というものを製作してみた。その図が、プロローグで見られた図なのである。
このような事実から、加賀藩の意志決定機関には、正確な方位にこだわらなければならない理由があり、また正確に測量できる能力もあったことを伺わせる。そんな意味からも、この重要文化財を動かすこと事態が、歴史の事実を知る手がかりを消し去ることになる。藩政時代のものの考え方はまだまだわからないことが多く、こうした地道な調査の積み重ねから、新しい事実が浮かび上がってくると私は考えている。

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