10.非公式会談の結末
| まず、私が一人で金沢の建設省金沢工事事務所へ出向き、副所長と会談。会談で正式に梯川拡福工事で天満宮移転ありきではないとの回答を得た。これを受けて、建設省、天満宮の2者による非公式会談を開くことを合意した。 出席者はそれぞれ2人づつとし、日時、場所はそのつど決定する。後に小松市の担当者も同席させてほしいとの意向を了承して、合計5人の出席による非公式会談がスタートした。守る会からは、私と河川の専門家の中川武夫先生が出席することとなる。 この間に、市役所の動きが活発になり、次のような情報が飛び込んできた。天満宮のような宗教法人は、財産などの管理、運営は責任役員に任されている。小松天満宮ではこの時5人の責任役員が登記されていた。その内の2人は賛成派とみられ、あと1人賛成に口説けば、責任役員会で移転賛成が決議される可能性がでてきた。責任役員の内宮司、禰宣は当事者で勿論反対意見だから、あと1人の取込みを画策しているというのであった。 市側は、会談前に責任役員会を開催させて、無理矢理賛成決議に持ち込み、会談そのものの意味を無くそうとの陰謀であったようだが、この情報を察知して、いち早く対処した守る会の行動の早さに面喰らった様子であった。
|
||
![]() |
|
報道された新聞
| 新聞報道の翌日、平成2年9月19日、第一回の非公式会談が開催された。勿論、前日の報道で動揺している様子ははっきりとわかった。当然のごとく、お互いの主張は平行線をたどることとなる。かくして、何回かの非公式会談が開催されたが、結論を得ることはできなかった。 しかし、この会談で初めて国側に私のミニバイパス案が示された。当時の市長はこの案を見て、こんな簡単な方法で解決できるのならば、なぜもっと早く国が考えなかったのか、と役人を叱咤したという。 二回目の会談は平成3年3月12日に行われた。建設省は、私の案を検討した結果、安全性が確認できないと突っぱねてきた。それならば、自然というものは人間の計り知れ無いものであり、全国のどの河川が100パーセント安全であるといえるのか。そんな河川があるならば答えてほしい。また、安全の基準とはどのような物差で判断したのか。そして、そんな物差があるのなら、何%安全なら合格で、安全性が確認できないとは、その物差で何パーセントと判断されたのか。しかし、この質問に全く返答できなかった。 三回目の会談は平成4年2月3日に行われた。この時の会談内容はは、建設省は只お願いに変わってきた。私は当初の疑問であった「市民の命と財産を守る」という大義名分を取り上げ、これで市民を人質同然にして移転を迫る手法に、それならば一日も早く解決する反対側の拡幅をなぜ選択しなかったのかを問いただした。しかし、これにも反論できず、私はついに「不謹慎である」として、今後の会談も無意味として、見直す考えを通知したのである。 結局この会談が最後となり、次の市長選挙へと事態は大きく変化していくのである。 |
||