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9,天満宮を守る会の結成
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| さて、平成2年2月17日、小松天満宮の茶室、修竹庵に8名の男達が密かに集まったところに話を戻そう。 小松天満宮の宮司北畠直順氏(以後は宮司)が、移転問題に真剣に取り組んで、天満宮は移転すべきか、するべきでないかという問題を、私的機関を作って調査したことはこれまで述べてきた。その結果、移転すべきでない数々の新事実が発見され、しかも、移転しなくても経済的にも安上がりな方法が提案されたのである。 一方で建設省が作った調査機関が昭和61.3.31付けで発表した「小松天満宮等専門調査報告書」では、委員13人の内、賛成意見6、反対意見4、中立意見2,保留1という結果であった。賛成意見が多いが、過半数には達しず、委員会の結論も出なかった。しかるに、建設省は工事を強硬に進めようと再三に渡って移転申込を続けてきたのである。宮司はこの旨を文化庁に出向き、対応を求めるが、文化庁は先に述べたように移転の事実が発生していないとの認識で、取り合わない。ただ、アドバイスとして、このように場合は市民運動に期待するしかないとのことであった。 よって宮司はやむなく「小松天満宮を守る会」を結成、移転反対運動に乗り出すこととなった。平成元年元旦、反対署名運動が開始された。この時、宮司から私は事務局長の大役を任じられたのである。これまでの数々の成果が大きくマスコミで報道されていたこともあって、署名運動は順調に進み、1ヶ月半で会員数が8.630名に達した。これを受けて、第一回の総会を開催すべく、主だったメンバーに召集がかけられたのであった。 この夜集まった男達は、宮司北畠直順、禰宣北畠佳房、奉賛会会長山下七志郎、責任役員今森久雄、河川の専門家中川武夫、弁護士山腰茂、郷土史家大西勉、そして写真家の私であった。 会議では、会の組織、総会の日時、決議事項の内容が話し合われた。その結果、多くの文化人、専門家を委員に加える大きな組織が作られ、2月25日に総会を開くことが決められた。 |
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天満宮を守る会・第一回総会開かれる
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| 平成2年2月25日、小松天満宮の参集殿に約200人の出席者をもって第一回の総会が開かれた。会長を宮司とする役員、署名運動の展開、事務局による活動方針が満場一致で採択された。 | ||
会員1万人を突破する
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守る会のその後の努力で、平成2年5月25日、ついにその会員数が1万人を突破した。最終的には、署名活動を展開してわずか半年間で10,600人にのぼることとなる。これを背景に、この問題の窓口となった事務局長としての私は、金沢にあった建設省金沢工事事務所の直接の担当責任者である副所長と、非公式会談を開くこととなった。
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| この頃の北畠直順宮司 | |||||